道展物語(14)~道展の分裂~

道展物語

2023.05.19

 昭和12年に日支事変が始まったが、13年になると、美術報国ということが、美術家達の合言葉の様になっていた。その気持ちが、第15回、16回の道展出品目録の扉に載せた宣言になり、またその気持ちが、戦時下の美術活動を支える柱であった。そして道展は、まったく開催不能だった昭和19年まで、休まず続けられていた。苦しい時代であったにもかかわらず美術を求めて集まる熱心な観客を眺めると、感謝の念と一緒に、道展を開催して良かった、としみじみ感じたものである。

 しかし、一方戦時には、道展を母体とした別の美術活動が盛んで、それが考え方によっては、道展の肩代わりをしていた。

 昭和20年、終戦をむかえた。なにもかも新しく変わろうとする気持ちと努力が、敗戦からやがて生まれた。終戦後、昭和21年7月、道展日本画部の会員の多くが、本間莞彩を中心に『北海道日本画協会』をつくり、道展を離れて独立した。しかし、それは日本画部会員の全てではなく、高木黄史らはそのまま道展に残った。

 昭和20年11月、『全道美術協会』が、北海道新聞社の後援を得、道内外の北海道出身者20名あまりをもって結成され、道展洋画部の会員の一部がこれに参加した。この結成は初め、道展と連絡を取りながら進められたもので、道展とは別の性格のものとして出発するはずであったが、結局対立関係の発展を見るに至り、その後の参加者も加え、道展は事実上分裂した。20年の盟友を失った道展の痛手は相当深刻で、これを癒して立ち直るまでに、その後およそ10年の歳月が流れた。

 この様にして初期道展は、また新しい時代に移っていった。戦後の道展が、これまでと同じ姿でありえないという事は、戦争中しみじみと感じさせられた事であった。(続く)

~道展四十年史より(一部中略あり)(K.W.)

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