道展物語(13)~戦時色の影~
道展物語
2023.05.19
次第に険悪な相を現してきた戦争は、昭和14年になると輸送に影響し、トラックも不自由になってきた。搬入が多い小樽では、あらかじめ搬入を受け付けて予選し、パスした作品を一括して札幌に送る事を始めた。搬入日は毎年富岡町の浅草寺で、小樽の会員の他、札幌の一部の会員が加わって予選した。昭和14年の小樽搬入の様子はこうであった。
~15回道展の搬入は、札樽の二ヶ所で受付を開始、小樽地方の受付所浅草寺では、9日午後1時から締切りの6時までに、約150点突破の好成績であった。道展常連協会病院長小川博士の50号ほか6点をはじめ、女子美校の平野勝子さんの4点、市立高女武田和子さんの3点、日本画約20点、水彩、油絵など次々に搬入されたが、時局柄本年の作品は大物すくなく小さい物で、実質的に大いに進歩したものが多いようである。~以下略(北海タイムス・昭和14年9月10日掲載)
翌15年の様子も同様だが、時局は画材にまで及んできた事が、次の記事でわかる。やがて絵具も統制され、容易に手に入らなくなるのである。
~小樽地方の搬入は30日行われた。総数154点で31日午前11時浅草寺本堂で札幌の能勢、今田、本間、高木、小樽の国松、三浦、谷各総務、常任幹事、会員の手で下審査が行われたが、時局が反映してスフのキャンパスやベニヤ板を利用したもの、キャンパスの裏を再利用したものや、手製の枠などを用いた作品が大部分で、時局下の道展にふさわしい傾向をしめした。(東日・昭和15年9月3日掲載)
この様にして、およそ50点を除いた約100点が札幌の本鑑査に送られている。また、昭和14年の第15回道展は、事変特別室を設け、北支中支などからの帰還軍人と従軍画家の現地スケッチを展示した。並んだのは新関ひとし「現地素描戦禍」ほか3点、高橋北修「上海市政府附近」ほか8点などで、高橋は従軍画家、道展会員である。
戦時中、道展の多くの人たちが同じ苦汁をなめていた。しかもまた多くの人たちは、生きて北海道に帰って来なかったのである。(続く)
~道展四十年史より(一部中略あり)(K.W.)