道展物語(9)~第二の十年~
道展物語
2023.05.19
『道展・第二の十年』は、昭和10年の第11回展から昭和19年の第20回展までである。道展をひとつの集団と考えた場合、この時代はようやく成長した道展が好調だったすべりだしの惰性をはなれ、自ら立ち上がった時代であり、敗戦の破局まで、言語に絶する苛烈さを示した戦争に適応すべく、あらゆる努力がなされた時代であった。昭和14年、道展は中島公園の会場、農業館を失い、その裏手の機械館に移り、ここで二年間展覧会を開催した。したがって道展は農業館時代とこの機械館時代をあわせ、前後十六年、中島公園時代が続いた。限界ははっきりしないのだが、第二の十年のうち、はじめを自立の為の五年、のちを戦時下の五年として、道展の歩みを辿ってみる。
~展覧会の広告~
道展の会場収入(入場料と出品目録代)は、昭和7年の第8回展の頃から、以前に比べるとかなり減ってきていた。一番の大きな原因は、初めは華やかに道展を取り上げてくれた新聞が、前ほど書きたてなくなった為と思われた。とにかく収入減は、会の運営に直接響いてくるので、第11回展の広告をやってみた。そして会期のはじめに、新聞の折りこみ広告を実施した。
チラシは27×20cm、道展と大きく横書した下に会期と会場を入れ、その下を囲ってその中に「持っていますか色彩常識」という題目を付け、色の三要素だとか、原色、中間色、色彩感情、配色、絵具の混合などについて簡単に記載した。これを2000枚印刷配布した。また、第11回展、第12回展ともに会期の終りに新聞広告を北海タイムスに掲載した。
広告の効果はどうもはっきりしなかった。しかしこんな試みも、道展が自立する為に必要な事であった。 (続く)~次回『地区別陳列の試み』
~道展四十年史より(一部中略あり)(K.W.)