道展物語(8)~道展と北海道美術家連盟~

道展物語

2023.05.19

 道展の会長は大正14年創立当時の土岐嘉平以来、歴代の北海道長官であったが、特に道展に関心をよせたのは沢田牛麿と佐上信一であった。

 佐上長官の関心は道展ばかりではなく、北海道の美術行政にあったようである。昭和6年、佐上は北海道出身の在京美術家を中心に、北海道美術家連盟の結成を斡旋し、小樽新聞社がまた万事を引き受け、同年5月9日から一週間、中島公園の農業館で第1回北海道美術家連盟展を開催した。在京道出身作家も相当な力のいれようで、また在道作家の一部が会友として参加していた。

 北海道美術家連盟展は翌昭和7年の春、第2回展を開催したが最初の規模と熱意がなく、早くも運営の困難を予想させたが、佐上長官を通じて道展との合流を申し入れた。佐上長官はこのために、道展会員と連盟会員を豊平館に招待したことがある。

 北海タイムスは「美術家連盟が道展へ合流、一大飛躍の機運熱す」という表題の記事で当時の模様を報道している。

 要するに、北海道美術家連盟の合流により新しく道外会員の制度を設け、道内に絞っていた道展の会員制度を拡大しようという主旨であった。このように、形勢は一応合流に向かっていたが、人選や組織に問題があり、道展運営の将来についても疑問が残った上に、感情のいざこざがあったりして、結局合流は拒否され北海道美術家連盟はそのまま消滅した。もしこの合流が実行されていたとしたならば、

現在の道展はなかったかもしれない。(続く)~次回より『道展・第二の十年』

~道展四十年史より(一部中略あり)(K.W.)

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