道展物語(6)~昭和初めの発展~

道展物語

2023.05.19

 北海道美術協会の結成は北海道美術の夜明けで、それより新しい発展の時代に移るのだが、それはまた道展そのものについても言えることであった。このことをはっきり物語る二つの事実がある。その一つは道展の搬入点数のいちじるしい増加であり、他の一つは道展ゆかりの美術家の中央進出である。

 道展が開催されるごとに、毎年道展に搬入された作品点数は、最初の数年は500点内外であったものだが、6年目の昭和5年は1000点、翌年の第7回展では、1795点であった。地方展の搬入作品が千数百点ということは普通に考えられなかった為、当時滞札した国画会員の宮坂勝が疑うので、搬入の実際をみせたところ、驚いて納得したということがある。

 搬入点数が一千点を超えた時、創立会員たちはさすがに嬉しかったものである。

 道展の搬入点数は昭和6年の第7回展をピークに、やがて激しい戦争の影響が表れて一時減少するまで、だいたい1400~1500点の時代がしばらく続いた。

 搬入の増加と作品の質的向上は、入選作品の自然増加につながり、初めは100点に満たなかったのが、昭和7年の第8回展以降は、毎回200点を超えている。そして充分の広さがあった農業館の会場がだんだん狭くなった。道展は北海道の公募展としての使命に徹する為、新人優遇の方針を決め、会員出品の制限を昭和5年の第6回展から始めた。道展の農業館時代は、会員の出品2点以内としてまずなんとかなっていたものである。(続く)

~道展四十年史より(一部中略あり)

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