道展物語(3)~農業館~

道展物語

2023.05.19

 道展が生まれ、そしてすくすくと育つことができた条件のひとつに、よい会場があったことを忘れてはなるまい。札幌・中島公園の池のほとりの農業館。竹内、兼平、加藤の三者会談の時、竹内はこの古い建物を思い浮かべていた。

  松竹座の前から公園の入口まで電車がかよっていた時代で、車を降りてなお100メートルあまり歩けばよかった。前は公園の広い池、木立ち越しに藻岩山が見え、秋にはその麓のサルビア畑の紅が目にしみる様であった。この農業館は間仕切りのない細長い建物で、正面の一部が二階になっていた。南の窓から強い南日が射したが夕方は早くから暗くなり、電燈の設備は無かった。しかしその頃は大作が少なかった事もあり、300点くらいは二段にかけることなしに陳べられ、広さの点ではまったく申し分がなかった。札幌市が管理していたが無料で、月の半分以上もゆっくり借りられた。

 第1回道展開催の折は、間仕切りのないガランとした会場の陳列壁面つくりが大変なことであった。ヌキとタルキで枠を組み、幕を張りめぐらした仮の壁であったが、木代金の他、200メートル近い幕代がまた大きな問題であった。ウンサイの丈夫な生地を、褐色に染めた立派な幅広い幕の代金650円。この当時の大金を展覧会の収入で返済できることは見込み薄であったが、この冒険の責任を快く引き受けたのは理事の小谷義雄であった。

 そして大正14年から昭和13年の14回展まで、道展の農業館時代が続いたのである。       (続く)

~道展四十年史より(一部中略あり)

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